不良品という言葉
度々問題になりツイッター上でも取り上げられる言葉に不良品というものがある。
この言葉は例えば、店舗で取り扱われている商品などに対して使うのであればそこまで問題は無い
問題になる場合は大抵、人や動物など生き物に対して使われるときだ
命ある存在に対して物のような扱いをすることが許せないなどといった理由である場合が多いのかと思われるが、そもそも何故不良品という言葉を人間に対し使うのがそこまで毛嫌いされるのだろうか
不良品という言葉を調べてみると、「問題のある(定める規格の範囲に収まっていない・または正常に使用できない)品物のこと。」とある
確かに物品に対して使う言葉であるから、人間に対して使う時点で国語的に不適切ではある。
そのことに対して論ずるのであれば反論の余地は無いが、否定的な意見を見ていると大抵がそうではないように思う
人間として劣っているのであればそれは”人間として”は不良品だし、感情論を交えた意見など聞くに値しない
全ての議論は論理的に交わされるべきだと思うし、感情などは問題解決の最大の障壁であり、純粋な議論に波紋を生じさせ難解にしてしまう不純物に過ぎない
人間が人間足り得る最大の特徴が感情であるという意見には賛同するが、それが人間にとって必要なものかと言えば甚だ疑問である
人間を人間足らしめる要素として不可欠のものではあるが、そもそもヒトという種族そのものが不要なものであるからして、それ以上の事は論ずるに値しない
だが人間が無価値という結論を出してしまっては他に何も語るべきことも無くなってしまうので、敢えてそこには触れずにおこう。
閑話休題。
不良品という言葉を人間に対して使うことの是非についてだ
ここ最近で一番大きな問題となった発言としては、ワイドショーでの松本人志さんの発した「僕は、人間が生まれてくる中でどうしても不良品って何万個に1個、絶対これはしょうがないと思うんですよね」以下、これに関連するコメントだろう
それは優勢思想に繋がる考えだと諭してあげればいいのに、という意見もあったらしいが、私は特にこれが不適切な発言だとは思わない
何故なら私も優勢思想が、正しい・効率的な思想だと考えているからだ
優勢思想に懐疑的な人の意見に、「優勢思想は優勢の根拠が人間に判断できると思えないので現状では支持できない」というものがあった
批判的なものとしては、これが今のところ一番納得できると感じた意見だ
確かに、不完全な存在である人間だからこそその中でも優れた個体を選別していくべきという考えではあるのだが、その基準となる優れた人間を選別する手立てが確立されていないということがその足枷になっているのだ。
劣った存在である人間だからこそ選別すべき、という思想も、優れた存在でないからこそ成立しない。
となれば、人間以外の存在に選別を委任すべきなのであろうが、それが出来る存在が私の知る限り現状では居ないということで、やはり現実的ではない。
人工知能に人間を選別するための知識を与え思考実験を繰り返させ最適化していけば、いずれ人間を選別するための存在として成長してくれるかも知れない
現状ではそれが一番現実的な手段になるのだろうか
感情論に流されず冷酷に人類を選別する機械、それがこの世を牛耳っている未来。
多くの人間にとってはディストピアのように思えるかも知れないが、私のような優勢思想を好しとする人間にとっては理想の世界だ。
また、別の意見としては「賛同したい気持ちはあるが自分が何時劣勢になるか分からないから賛同できない」というものもあった。
これなどは一番愚かしい、一笑に付されて然るべきものではないか
まず自分が優勢側であると信じている時点で、笑えない戯言だ
優勢思想に賛同するのであれば、自分がいつその切り捨てられる側になっても良い、若しくは最初から劣勢側だとしてもうろたえない程度の胆力を持ってからにして欲しい
私は自分が特に優れた人間ではないことも理解しているし、その上でもやはり劣った人間は排除されて然るべき、という信念を持ち優勢思想に賛同している。
当然自分が真っ先に排除されることになったとしても異論は無い。
そもそも、本当に人間的に劣っている者らはそうした思考を持つことすらしようとしないことも多いのだが。
まあそれに関しては私の価値観が必ずしも正しいとも言えないのでこれ以上言及するのは控えておこう
さて、上の松本人志さんの発言に対して面白い反論があったようだ
私たちは人間。「良品」も「不良品」もない。「フツウ」も「一般的」も、個人の偏見。
— 東ちづる Chizuru.Azuma (@ChizuruA1) June 2, 2019
言うなら、「多くの場合」。そして、多いからといって、「正しい」とも「正義」とも限らない。これまで間違って判断してきたこともある。
確かに正論ではある。だが理想論だ、現実的ではない。
しかし感情論ではなく言葉の使い方に対して言及している辺り、聞くに値する意見なのではないだろうか
偉そうな口の利き方をしてしまったが、実際現実を的確に表現した発言に対して感情論で反論する相手の意見など聞くに値しないということはご理解頂けるだろうか
この意見に対して理想論だ、と批判する意見も見られた
それも間違いではないと思うが、今回のこの意見に関しては批判する余地は無いように私は考えている
何故ならこの意見は感情ではなく、ただの事実を述べたものであるからだ
これに対する批判の中で面白いと感じたものがこれだ↓
あなたの
— 大宮 健司®︎ (@hiphoppap77) June 3, 2019
つい先程まで笑顔で生きていた
大切で愛している人が
見ず知らずの人間に
訳すら分からず殺されたとしたら
その相手を不良品以下に
思いませんか?憎みませんか?
許せますか?同じ事を言えますか?
典型的な感情論である
論点はそこではないというのに。如何に相手を憎もうが不良品に感じようがそれは構わないのだが、それを許すか・どう感じるかは別に、先ほどの発言が不適切であるかどうかに関してはこのリプライの内容は全く無関係だ
語られた事実を曲げられる力など、感情論には無い。
そのような力があるとすればそれは、今まで語られなかった更に深い真相であり真実だ
言葉の扱いとして間違っているという指摘に感情論で反論する辺り、失笑を禁じえない
私は東ちづるさんの意見を否定するつもりも無いし、それが出来る材料も持たない
だが、松本人志さんの意見も正論だと思っている
しかし本人は発達障害や引きこもりに対しての言葉ではないとツイッター上で訂正している
凶悪犯罪者は人として不良品。
— 松本人志 (@matsu_bouzu) June 2, 2019
ひきこもりが不良品?誰の意見?
私が思うに、人間の数を減らしてくれる大量殺人犯こそ人類の総数を減らしてくれる良品であり、健常者と比較して社会に貢献する力が無い引きこもりや発達障害のある人間こそが不良品だとは思う
まあ人間自体が劣った存在である以上、どんぐりの背比べ程度の話なのだが。
そもそも弱肉強食のこの世界に生きている以上、優劣を意識せずにはいられないのだし、そうでなければとっくの昔にこの世界は崩壊しているだろう
当然、既に破綻しているという意見もあるだろうが。私もそう思う。
そのような、いずれ来る滅びへと緩やかに向かう世界で何を争ったところで勿論意味など無いのだが、思考こそが唯一の娯楽であるという救い難い事実を否定できない以上は私はこうして考えることを辞める*つもりなど無いのだし、私の意見に反論する相手に対してはしっかりその意見を理解して吟味し、賛同或いは不賛同の意見を示すだけだ
私は感情論を忌避するが、私自身人間である時点で全くそれらを排除することは限りなく不可能に近いだろう
現に私自身も感情を排除しきれていないことが度々あるのだし、その点に於いては私もあまり人を批判する権利など無いのかもしれない
話題としてはズレるが、こんな具合に。
元々そういった運用を想定していないアカウントと親密になりふとした場面で賢さを垣間見て驚く、というのは良いのだがそうではなく普段から専門ではないアカウントで全く関連性の無い問題に提言するアカウントを見ると何だかもやもやする
— イクスゼプト (@EXzepto) August 9, 2019
だが私の場合はこのような曖昧な場合を除いては感情を排除し論理的な発言をするように心がけているし、そうで無ければそのことについて批判して頂いて構わない。そのときは申し訳ない。
しかし、例えば明確に感情論ではなく論理的な反論をしてくれ、と相手に指摘されているにも関わらず、我が道を行くとでも云うように感情だけで物事を語る相手に対しては、最早反応する価値も無いと私は考えている。
ただ、そういった人に限って反応が無いことを取り上げて、自分が正論を言ったから何も言えなくなったとばかりに相手を煽るのだが。そこで相手をしてはいけない。
考えることをしない人間に、人間としての価値など無いのだから。
私自身が考えることをしなくなった暁には、同様の論調で私の存在を否定してくれて構わない。
同じように、今回のテーマとした「不良品」という言葉、その言葉のイメージが悪いからという理由だけで噛み付いている人間も多いように感じた。
そうではないだろう、言葉の使い方に問題があると批判するのであれば、感情論ではなく正論で批判しろと言いたい
散々感情論を酷評しておいて今更悪口を付け足すのもくどいとは思うが敢えて言おう
話し合いにおいて感情論は不要だ。
感情が不要とは言わない、何かおかしいと感じる直感なども重要になる場面があるのだから、その場合感情は有用だと言えよう。
だが、そこから論理的思考を導き出し相手を如何に説得するかではなく、感情に訴えかけ共感を得て、多勢に無勢の形で相手の意見を押し潰すような手段を採るようではいけない
飽くまでも議論は論理的であるべきだ。
普段の他愛の無い会話は感情で話して然るべきとは思うが、こと相手を説得しようとする場合に関しては感情は徹底して排除せねばなるまい
このことに関連して、女性脳は男性脳と比較して会話に共感を求める傾向にあるという事実がある。
その部分だけを抜き出して比較するのであれば、一般的に女性は男性よりも議論に向いていないと言ってしまっても間違いではないだろう
だがそれだけで、女性は議論すべきではない、男性に任せるべきだ、と考えてはいけない
これは一般的にそういう傾向にあるという事実であり、全ての女性がそうであるとは限らないのだし、実際に感情ではなく物事を客観視し論理的に語れる女性も少なからず存在する。また逆に、議論の際に感情論に走りやすい男性もいる。
だが引きこもりや障害者が社交的な健常者と比較して生産性に欠けるのは否定しようがない事実であり、人間の存在価値を生産性に絞って比較した場合に不良品だと評されてもそれは仕方の無いことだろう
無論このことが受け入れられない人は感情論で否定してくれても構わない。
私は感情論で語る人間を、議論においては相手にしないというだけのこと。
というよりも、相手に出来ないといったほうが正しいかもしれない。
さてさて、そんな言い訳はさておき他の意見に触れていこうか
少し前の問題なこともあり批判意見などを探すのも多少面倒ではあったが、肯定否定両方の意見を取り込まなければより良い結論には近づけない
実際に否定的な意見を取り込めているかは別として。
作家の盛田隆二さんの「生放送ではない番組でこのような発言を垂れ流すフジは差別発言を擁護しているも同然」と云った趣旨の発言に関してだが、これについては思想というか価値観が違うのだから仕方の無いことではある。
私に言わせてもらえれば、人間も全く同じ個体が存在しない以上優劣が発生するのは当然であり、それを区別しなければ世界はもっとうまく回らなくなっているだろう。
重度の障害者が健常者並みの活動をするには介助者の手助けが必要不可欠であり、健常者と同列に語ることなど不可能なのだから。
引きこもりもまた同様に社会に適合できなかった人たちなのだから、それらの人と最初から社会に適合できている人たちを比較すれば、劣っていると言わずにどう表現すれば良いというのか。
簡潔に言えば、不良品という言葉は国語的に不適切だとしても、意味としては素晴らしくマッチしたものではないか、ということだ
敢えてもっと適切な表現を挙げるとするならば、「出来の悪い人間」だろうか
あまり”不良品”と変わらないようにも感じるが。
(凶悪犯など特定の)”人間を「生まれついての不良品」と見做す人間観”がいけないと発言する人もいたようだが、何度も言うが人間という存在が不良品である以上、何も間違っていないのではないだろうか~
恐らくこれらの批判をしている人々に関しては価値観が根本から違うので、分かり合うことも相当に難しいことのように思うが。
纏めると、「不良品という言葉を使うのは言葉の意味として誤っているが、特に不適切な表現だとは感じない」というのが私の意見だ。
多少ブレている部分もあったかも知れないが、これを論理的に否定できるものがあるとは思えない
障害者や引きこもりの人に対して申し訳ないという気持ちも無いわけではないが、区別する必要がある以上仕方のないことではないだろうか。
というわけで、ここまで徒然無い文章を読んで頂いた方がいれば、ありがとう。
次回の記事を何時更新するのかは私にもまだわからないが、楽しみにしてくれれば幸いだ
では、また。ツイッターか、次回の記事で。
(*ここで敢えて止めるではなく辞めると表現しているのは、考えることこそが唯一の私の存在を肯定できる手段であり、私という一人の人間としてこの世に生まれて以降与えられている役目だと思っているからだ。
大した力もない私は、考える力を失った時点で存在を肯定する手段を失う)
新しい言葉とそれを使う若者について
少し前の話だが、マイナビの運営する10代女子向けメディア「マイナビティーンズ」が、2018年の10代女子が選ぶトレンドランキングを発表し、その中の流行った言葉で見事に一位に輝いたのが「エモい」という言葉だという。
以前から度々若者の使う言葉というものは批判されつつも時間が経つにつれて浸透し広まっていったように思う
尤も、そうして言葉が世間に受け入れられる頃には若者たちはもうその言葉をほとんど使うことがなくなっていたりするのだが。
そして問題となるのは、どうしてそれらの言葉についての批判などが散見されるようになるのか、ということだね
このことについては他の記事についてだけど相方が少々語っていたから、その意見も載せておこうかな
なるほど、エモいという言葉にそこまで嫌悪感はありませんでしたが嬉しいときも悲しいときも切ないときもエモい、の一言では、どうにも理解しにくいですし、そればかり聞いていればうんざりしそうではありますね
— Kopfsalat@低浮上 (@xdyyfiefou) November 29, 2018
私も周りの人もたまにエモいという言葉を使いますが、同じ言葉を連発するというのはやはり、悪い言い方をしてしまえば馬鹿っぽい印象を抱くことが多いですね
— Kopfsalat@低浮上 (@xdyyfiefou) November 29, 2018
使いやすいということは言葉としてはとても素晴らしいことですが、それに甘んじて様々な表現方法を失うのは扱う人の怠慢でしょう
僕の場合は周りの人間にあまり興味ないからどんな言葉を使おうがこっちに危害が無ければどうでも、ってスタンスなんだけど彼は結構気になっているらしい。
本人も相手によって気を使っているのか自分もたまに使うとは言ってるけどね
確かにどんなことに対しても「エモい」の一言で片付けられてしまってはうんざりするのも納得だよな。ただでさえ人と遣り取りすることに辟易してるのにさ、こっちは。
しかし「使いやすい言葉に甘んじて様々な表現方法を失うのは扱う人の怠慢」って…結構過激な言い方をしてるな…
相手は学生とかだよ?
Kopfsalat「改めて見返すとちょっと言いすぎた感じがありますね…
しかしツイート内で言っているように、10代の方々に広く普及したということはそれだけ使いやすい言葉だという事実の裏付けですし、使いやすいというのは一つの単語としてはとても素晴らしいことなんですよね
ただ、それが他の世代にとって難解なものになってしまっていることが問題となっている部分でもありますが。」
あ、今回みたいに、相方(Kopfsalat)が何か言いたいことがあるときとかはこうやって名前と鍵括弧つけて分かりやすいようにしていくつもりだけど、分かりにくかったら申し訳ない。
アカウントのパスワード教えるのはさすがに抵抗あるし乗せる記事を書いてるのは結局僕一人だからただの一人芝居みたいに見えちゃうけど、他にいい案が浮かばないから仕方ない。
とにかく、ここに書く記事は相方にも見せてから相談した後に公開してるし、名前と鍵括弧があればそれがKopfsalatの言いたいことだということはわかってほしい。
閑話休題。
兎も角、使いやすい言葉っていうのは別にそれ自体は何も悪いことじゃないってことだ
そうは言っても特定の誰かが使いやすくても他の大半が使いにくいものを分かった上で多用することは褒められたものではないと思うし使いにくい側から見たら気分のいいものではないだろうね
政治家でもあるまいし一つの発言でそこまで気にすることもないとは思うのだけど。
僕もあまり使う言葉なんて考えてないでノリで話してるところ結構あるからね
で、そうじゃなくて、それが問題として取り沙汰されるのはどういうことかっていう話だったよね、確か。
大概こういう新しい言葉に対して抵抗を示すのって年齢が高めの世代とかが多いから、すぐに新しい言葉に慣れて使いこなせる若者への嫉妬からくる批判じゃないかとかそういう意見もあるんだよね
相方は若いのになんか文句言ってるようだったけど。
Kopfsalat「別にそういった言葉を受け入れる者・受け入れられない者のどちらが悪いといった話ではないのですけどね
どういった言葉を使うかなんてその当人の性格や気分に拠るところも大きいでしょうし、私自身あまり正しい正しくないと断定する言い方は好みません
ですから、私の場合は少し受け入れ難い心境だけど、他の人が使うことに対して文句を言える立場にはありません
ツイッター上では動揺していたのかつい強めの言葉を使ってしまいましたが、誰がどのよな言葉を使おうが、基本的には他の人が口を挟めることではないですし、挟むべきではないと思います」
だそうだ。
にしても↓これはちょっと言いすぎな感じはするよね
しかし先ほどのブログの言葉を借りれば便利な言葉で「語彙力を自ら退化」させている人に嫉妬するかと言えばそれは無いと言えるでしょう
— Kopfsalat@低浮上 (@xdyyfiefou) November 29, 2018
嫉妬しているということならそのような言葉だけで乗り越えられるような希薄な人間関係の中に甘んじて楽していられる状況に嫉妬していることはあるかも知れませんね
Kopfsalat「そうですね、さすがに言いすぎというか、大人気なかったと反省しています
「そのような言葉だけで乗り越えられるような希薄な人間関係の中に甘んじて楽していられる状況に嫉妬していることはあるかも知れませんね」という部分ですけど、別に私は気楽だからと言って希薄な人間関係を望んでいるわけでもないのに、どうしてこのような発言をしたのか自分でも不思議に思いますね
やはり動揺していたのでしょうか。
それにしても、自分で強い言葉を使うデメリットとメリットの無さをツイートしておきながらこのような発言をしてしまうこと、やはり私の人間としての成熟度の低さが露呈してしまったということなのでしょうね
以後気をつけていきたいところです」
ストイックだなぁ
自分の発言をそこまで縛って楽しいのか?って思うけど、多くの人により受け入れてもらいやすい発言をするには強い言葉ってのは確かにデメリットばかりなんだろうな
ま、それはいいや。
彼に話させるとすぐ脱線しちゃうから僕がちゃんと話を戻していかないと。
そうそう、すぐ新しい言葉を作り出し受け入れていく若者に対する、そうでない年齢層からの嫉妬も含まれているのではないかってことだったよね
確かに歳をとれば(僕の勝手な推測だけど)柔軟な考えとかもしにくくなっていきそうだし、色々なものに囚われず自由な振る舞いができる若者への嫉妬ってのは十分有り得る話だろうし納得できる。
けど、それだけなのかな
Kopfsalat「私も少し疑問に思いましたね
そういった主観的な感情だけではなく、将来の心配など正当な理由もありそうな気がします
勿論何か嫌いなものや受け入れ難いものがある際にその理由が”気に食わないから”といったものでも全然良いとは思いますよ
ただ、問題はそういった非常に個人的な意見を他人に押し付ける人がいるということです
個人として生きている人間ですし個人的な意見を持つのは至極当然のことでありそれを理由に行動することは誰にも咎められることではありませんからね、他人に迷惑をかけない限りは。」
そう、そこが焦点になるのかな?
エモいって言葉を使うことによる語彙力などの低下や細かな感情表現が苦手になって今以上に自分の内側をさらけ出すことが苦手な人が増えていけば社会はさらに住みにくい場所になってしまいそうではある。
ただでさえコミュニケーションが苦手だという人が増えているんだ、そこでさらに考えることを必要としない言葉が普及すれば当然会話はしにくくもなるだろう
仲の良い関係ならいいけれど、初対面の人とかにいくら内容考えても話しかけられない人が、考えずに発言できるわけないからね
考えすぎってのは問題だけど、考えなすぎってのも問題ってこと。
Kopfsalat「そうですね、あまり深く考えずに発言ができる・相槌が打てるというのはコミュニケーションを苦手とする者にとっては一見魅力的に思えるでしょうけれど、そういった人は極度に相手の印象などをネガティブに想像してしまうなどの癖があったりする人が多いようです。世間一般での平均などはよくわかりませんが、私の周りでもそういった人は相手に悪く思われることを極端に嫌い、その結果、話しかけるという行動をしないという考えであったりするようです。初対面の人に対しても、好感度を下げる可能性のある言動をなるべく排除したい、という考えからそれならばあえて何もしないということを選択する人もいるようですね
そういった気持ちがあるならばみんなが使っている当たり障りの無い言葉を使うという選択肢は当然取り入れられる機会も多くなるわけですから、そういった人たちの存在は流行った言葉がさらに勢いを増すブースターにもなり得そうです
ただ、これは私の周りの人から聞いた話と私から見た印象から出した結論ですから間違っている可能性はありますし、これが世間一般に当てはまるとは当然言い切れません」
まぁそういうことだ
こんなこと言ったらお終いだけど結局のところどれが原因かなんてわかりゃしないし、そういった予想をするのだってあんまり意味は無いんじゃないかとは思うけどね
Kopfsalat「いえ、どれが原因か一つに絞ることは困難でしょうけれど幾つかの少数の候補に絞ることはそれほど難しいことではないと思います。当然、偏見などを排除する必要はありますが。
そしてその予想をするということについてもこれ以降の流行語の流行り方を掴みやすくなることにも繋がるでしょうし、そうして手に入れたデータは何か物が流行るにはどういった原因が考えられるのか、などと言った経営戦略などにも流用できそうなものです
意味が無い、と一蹴してしまうのはとても気楽ですがそれはつまり思考の放棄です
一見無駄に見えるようなものでもその先の未来に及ぼすことなどを想像してみると楽しくなってくると思いませんか?」
う~~~ん…そうかなぁ?
毎回のように思考停止と思い込みだけはやめろって言われてるから気をつけてはいるんだけど…それでもあんまり興味湧いてこないな
なるべくそういう考えをするようには意識しているけど、やっぱり自分の人生とか他人に興味がほとんど無いから面白いって感じること自体が難しい…
取り敢えずこの話は今はいいや。
今回の話題は、流行語となったエモいという言葉の弊害とかそれを使うメリットについてだったよな
メリットについては、コミュニケーションが苦手な人の割合が増えている若者でも気楽に使いやすい当たり障りの無い言葉であり、且つ、様々な感情などを一語で表現できる便利な言葉だってことか
デメリットとしてはその気軽さ故に語彙力を必要としないためにコミュニケーションが苦手な者はさらに人との遣り取りが苦手になってしまう可能性もある、感情表現が苦手になる、といったところかな
あと、そういった言葉を頻繁に使っていると周りにいるのはあまり中身の無い話しかできない人ばかりになっていたり、というのもありそうな話だ
Kopfsalat「最後に付け加えた周りにいる人たちが~というのは普通に有り得そうなことですね
学生時代だと特に何でもネタにしようとしたり茶化したりして全く話が進められない人がクラスに何人かいたりするものです。どうでもいい話がしたいときには別に構わないのですが真面目な話がしたいときにできないようでは困りますし、そういった相手しかいなくなってしまうと思考力は急速に衰えてしまうでしょう
これは大きなデメリットですね」
いや、うん、僕はそこまでは言ってないけどね?
ただそれでも中身の無い話に何時までも付き合わされたりするのは苦痛だからな~
やっぱり自分が普段から気負わずに話せて、それでも真面目な話がしたいときはそれを聞いてくれるような相手がいればそれが一番だろうね
そんなの誰だってそれくらいわかるか
でもやっぱり色んな立場から考えてみると、結論って曖昧なものとかそりゃ当然だろっていうような内容に落ち着いちゃうんだよね
それでも結論が奇抜なものは目を引くけど同時にアンチも増やしやすいのだから、誰が見ているか聞いているか分からない場所では当たり障りの無い言葉を使ってみんなが当然と思うようなことを言うのが賢いのかも知れない
だから、エモいって言葉を馬鹿の一つ覚えみたいに使ってる人だってその場の空気を読んで同調しているんだろうし、頭を使わない言葉を使ってるから馬鹿とは限らない
適切な場所で、適切な言葉を使おうね、ってことだ。
はい、そういうことで今回はここでお終い!
読んでくれた人いたらありがとう
こんな毒にも薬にもならないような駄文を読んでくれて。
時間を無駄にしたって後悔しないようにね!それでは。
開設記録
知人がブログをやろうと言い出した
最初は聞き流していたのだけど話を聞くとどうやら僕と一緒に二人でやりたいということらしい
何でも僕が批判的な意見を言いそれに相方の彼が肯定的・前向きな意見を補足する、といったイメージ、なのかな?
意見が違う人が一つのものを作る、というのはきっと楽しいだろうって彼は言っていたけど僕はまぁ暇潰しになるなら何でもいいかなって取り合えず引き受けてはみたんだ
結局記事を書くのは僕の仕事になるわけだけど、別に忙しいわけでもないしいいかなって。
簡単に僕らの考えの違いを書いておくけど、必ずしもそういう思考になるとは限らないし冷静じゃないときはおかしい考えになるかも知れない、それにどっちも何かの専門家ってわけじゃなくて素人が知ったか振ってるだけの茶番だから、気になるところとかおかしいところは指摘してもらえるとありがたい
で、まず僕だ
ブログ書くペンネームはEXzeptoだけど、一応伊草彩翔(イグササヤト)っていう名前もある
考え方の方向性としては、なんちゃってニヒリズムって感じかな
僕自身ニヒリズムって言葉がいまいち理解できていないせいで、ニヒリストだ、とは言い切る自信がないんだ
全ての物事には意味は無いって思ってるから、ニヒリストでも間違いじゃないのかな?
ま、そんな哲学的立場なんてレッテル貼りするまでもなく見てもらえればわかるとは思うんだけどね
次に、相方。↓こいつだtwitter.com
普段何してるのか知らないけど、たまーにTLとかニュースで見かけた問題について自分の考えを語ったりしてるようだ
ツイート見てみると随分前向きな考えをしているなって思えるんじゃないかな
良くも悪くも僕と対極に位置する人種だよね
とまぁ、そんな感じでこれからやっていくからもし暇な人がいたら見ていってほしい
頻度はあまり高くないと思うけど手応えがあるようなら何か考えるかも知れない。
別にここで収入を得られるなんてことは期待してないしゆる~くやっていこうと思うからブックマークとかしておいて暇なときに見て、どんなコメントでも残してくれたら(相方が)喜ぶのでお願いしたい
さてと、一応1000文字くらいに収められたらいいかなと思って最初の記事を書いてみたけどあまり引き伸ばしてもつまらないしここら辺で締めさせてもらおうとおもう
ここまで読んでくれてありがとう
また次の記事で会いましょう